1989年8月31日
ウィキペディアより
千葉県野田市から旅行に来ていた早大四年の女性(当時25)が、 比叡山延暦寺の横川中堂秘宝館で目撃されたのを最後に、行方不明となった事件。
犯人は、2年前から比叡山の雑木林でテント生活をしていた。
和歌山県出身。中学卒業後、滋賀・大阪・和歌山の各地で職を転々とし、昭和61年頃から比叡山にやって来るようになる。
工員や土木作業で 金を貯めていたが、オートバイを盗んだり、レストランで飲食物を盗んだり手癖も悪かった様子。
所持金は1万円を残すのみ。 そんな時に長袖シャツにトレパン、スニーカー。リュックを背負いウエストポーチを腰に巻く一人で歩く山敷工女さんを見かける。
犯人が声をかけると特に警戒もせず、彼女は気さくに応じたという。
行先は横川中堂。
犯人は彼女を見送り、そして帰りに通るであろう山道の分岐点で待つ事した。
思った通り、彼女が見えた。
そして、三千院への近道を聞かれたという。
二人は人が通る事がない、獣道のような道に消えていく。
9月2日、彼女の自宅に1000万円を要求する電話が入る。
9月9日、山中で女性のリュックサックが発見され9月10日午後4時、東海自然歩道近くの雑木林で、遺体となって発見された。
遺体は靴と靴下以外は何も身に着けておらず、着衣の上に横たわっていた。
翌日の司法解剖の結果、死因は首に巻き付けられた紐による絞殺と断定される。
1989(平成元)年8月31日、
千葉県野田市から旅行に来ていた早大四年の女性(当時25)が、比叡山延暦寺の横川中堂秘宝館で目撃されたのを最後に、行方不明となった。
9月2日、女性の自宅に一千万円を要求する脅迫電話がかかる。
9月9日、山中で女性のリュックサックが発見される。
9月10日午後4時、東海自然歩道近くの雑木林で、遺体となって発見された。
遺体は靴と靴下以外は何も身に着けておらず、着衣の上に横たわっていた。
翌日の司法解剖の結果、死因は首に巻き付けられた紐による絞殺と断定。
9月13日午後9時、男(当時48)を殺人の疑いで逮捕。
「金と強姦目的」と自供(後に強姦目的は否定)
【被害者女性】
●外見
身長163センチ。肌は日焼けしている。スポーツで鍛え上げた、やや肩幅の広い体格をしている。
「最近痩せて色が白くなり、綺麗になった」との証言もある。
髪は長く(約25センチ)、後ろで束ねている。
京都市内で撮影された写真では、白いTシャツに紺のジーンズ、白に赤線の入った
スニーカーを履いていた。
殺害時も同じ服装と見られていたが、検死の結果、上半身はブラジャー(産経新聞調べ)、
タンクトップ、Tシャツ、長袖シャツを着用。下半身は柄の入ったトレパンだった。
なお、これらは全て脱がされ、遺体の横や下に散乱していた。
●人となり
生前の彼女については証言が非常に多い。共通しているのは
「真面目で生一本」
「しっかりした性格で意志が強い」
「ボーイッシュ(親しい友人や家族には一人称が『俺』など男言葉だったらしい)でありながら几帳面」
といったところ。それを示すエピソードにも事欠かないが、とりあえず省略。
ただ、担任教師いわく
「男にしてみれば、真面目すぎて、冗談を言ったら怒られる、という近寄りがたいような存在だった」とも。
事件当時も、親しい男性はいなかった模様。
●体力、そして空手
中学・高校とも無遅刻無欠席。
中学時代は陸上部で長距離と砲丸投げをやり、高校では男女一緒に走るマラソンで、4位になったことがある。
体力には自信があったようだが、体育系大学の受験には失敗している。
高校3年、
「痴漢に遭ったのをきっかけに、空手を始めた」(本人談)
以後7年間、稽古に励む。
自宅前の路上での空手の稽古や、トレーナー姿でジョギングをする姿は、近所でも評判だったという。
翌年には初段、事件の前年には二段に昇格。
だが比叡山では、空手で凶行を逃れることはことはできなかった。
恵まれた体格や「スポーツウーマン」「空手二段の女丈夫」のイメージが強く、当初は複数犯説(=一人では無理)もよくきかれたが、実際の彼女は抵抗する間もなく仮死状態にされている。その後、痴漢よりも酷い目に遭ったわけだ。
●学問
受験に失敗後、日大文理学部に入学。ここでの卒業論文は死後出版され、国会図書館に寄贈されている。
また、麗澤大学のアグネス=チャンの講義を受けたことがあり、彼女が寄稿している。
日大卒業後、早大二文美術科に学士入学。ここで仏像に魅せられ、将来は仏師になって国宝級の芸術に直に触れることを志すようになる。
京都に来たのも、研究論文のためだった。
順調ではないが個性的な学歴だ。この事件で未来の女性仏師を失ったのは、大きな損失といえる。
●事件当日までの足取り
論文のため6月に上海へ行ったところ、あろうことか天安門事件が発生、
強制送還の憂き目に遭う。
これを取り戻すため、京都行きを決定。8月26日に自宅を出発し、9月2日には帰宅予定だった。
26日に京都に入ると、8月30日までは何事もなく市内各地を回っている。
8月31日午後8時に旅館をチェックアウト。京都駅から路線バスとケーブルカーで比叡山山頂へ。
根本中堂などを見学した後、東海自然歩道を歩いて、横川に向かった。
その途中で、男と遭遇することになる。
【自供から】
その時、男の所持金は1万円を残すのみとなっていた。
「一人旅の女性なら誰でもいい。殺して金を奪おう。ついでにカラダも……」
腹を決めた男の目にとまってしまったのが、一人で歩いていた被害者女性だった。
長袖シャツにトレパン、スニーカー。リュックを背負いウエストポーチを腰に巻いていた。彼女はいつも、こうした格好で出かけていたという。
声をかけられ、彼女は気さくに応じた。並んで歩きながら、男は旅行の目的や予定を聞き取る。
「地元の優しいおじさん」のような男を、女性はまったく警戒しなかった。
男は「話好きで、人のよさそうな女の子に見えた。『近道を教えてあげる』と言えばついてくると思った」 と述べている。
横川中堂に行くことを知ると、男は途中で引き返し、ビールを飲みながら彼女を待つことにした。
そこは山道の分岐点で、ハイカーや一人旅の女性がよく通る要所だった。男はそれを知っていたから、先ほどの女性も帰りにここを通ると踏んでいた。
横川中堂から、秘宝館へ。ここで女性は30分ほどかけて仏像を見学した。目撃した職員は、「背が高くて体格がよく、物静かな娘さんでした。髪を後ろできりっとたばねた姿が印象的でした」と語る。
帰りぎわ、職員が『ありがとう』と声をかけると、彼女は軽く会釈した。おそらくはアグネス=チャンの語るように、恥ずかしそうに笑いながら。
さらに別の職員が、秘宝館の方向から歩いてきて横川中堂側の階段を一人で降りている女性を目撃。これが生前最後の目撃情報となった。
2時49分発の、横川発最終のバス(当時)に彼女の姿はなかった。乗り遅れたのか、歩きたくて乗らなかったのかは、分からない。
木製の道標に腰かけていた男のところに、先ほどの女性が戻ってきた。
女性に、「三千院に行きたいが、近道はありませんか」と尋ねられたという。
狙い通りの展開。男は真意を隠し通したまま、「私はこの山で仙人のような生活をしていて、近道はよく知っている」と言うと、先に歩きだした。女性もその後についてくる。
そこは近道などではなく、袋小路の獣道だった。
「写真撮影にいい場所を教えてあげる」と言って、あちこちの写真を撮らせた。
また、お互いを撮影しながら進んだ。
女性は撮影に熱中し、男に背を向けてカメラを構えてしまった。
【脅迫電話】
9月2日午前8時。千葉県某市の女性宅の電話が、突然鳴った。女性の母親が取る。
受話器の向こうから、関西なまりの男の声がしてきた。
男は母親の名前を正しく呼ぶと、こう告げた。
「八瀬から電話をしている。娘を預かっている。1000万円を京都まで持ってこい。誘拐だよ、誘拐」男は女性の手帳から自宅の電話番号を調べ、電話をかけたのだ。
しかし、男は本気で金を脅し取ろうとしていなかったようだ。
男が被害者宅に電話をかけたのはこれが最初で最後だった。身代金目的の誘拐なら、受け渡し方法を細かく、数度にわたって指示するものと思われる。たとえ人質が死んでいたとしても。
では、なぜ電話したのか。男は、「娘は名古屋に行くことになっているだろう」
などと、1分近くも会話を交わしている。どうやら、万一女性が蘇生していたらと、家の様子を探ったらしい。
結局母親が、「お金は用意できない」と答えると、「じゃあ娘の命はないよ」との言葉を最後に、電話は切れた。もちろん、すでに女性の命は絶たれているのだが。
『ハリのある、関西なまりの男の声』――母親は、男の声をはっきり覚えていたという。
遺体が発見された後、男は警察の動きが気になったのか自ら警察に目撃情報を入れる。
さらに現場近くでバッグを拾ったと警察に電話する。
窃盗で逮捕された過去があり、担当刑事に接触を試みる。
男の言動の矛盾さから、当然疑いの目は男に向けられる。
男は自供を始め、逮捕。
無期懲役を求刑され、後の裁判で無期懲役を言い渡される。