1999年(平成11年)4月14日 山口県光市
ウィキペディアより
NAVERまとめより
「美人な奥さんと話したいなー」
「近所の団地の部屋を回って美人の奥さんがいれば話でもしてみたいな。ひょっとするとエッチできるかもしれない。(略)などと思いつきました。」
「ふと美人な奥さん(略)がいたらレイプしたいなーと思いついたのです」
「美人の奥さんが対応してくれたら、場合によっては今回僕がMさんにしてしまったように無理矢理エッチしてやろうという思いが膨らんできました。」
「僕は美人の奥さんがもし一人で家にいたら、ひよっとすると無理矢理にでもセックスができるかもしれないと思い始めました。(略)アパートに奥さんがもし一人でいれば、僕は腕力には自信がありますし、押さえつければ無理矢理セックスが出来るかもしれないと思いました。(略)ガムテープを(略)使って奥さんを縛れば、抵抗されずにセックスができるとも思いました。また、胸のポケットにさしたカッターナイフを見せれば奥さんも怖がるかも知れないとも思いました。」
光市事件最高裁弁護人弁論要旨補充書だが、自分勝手をこれほどまでにしっかり表現する犯人には正直、引く。
「乳児を押し入れに入れたのはドラえもんに助けてもらおうと思ったから」
「死後に姦淫をしたのは小説『魔界転生』に復活の儀式と書いてあったから」
これはただのユーモアで、余裕をカマしてるだけだと思う。にしても、身勝手極まりない事件。
これだけの事を妄想していれば、被害者の抵抗はすでに妄想済で、対処方法は妄想内ですでに設定済と思われる。
なので、被害者側に立とうとしない弁護団がいくら妄想に乗っかろうが、判決は覆されるべきではないと考える。
弁護団の主張で許されないのは、全て犯罪者側の立場で、確かに様々な犯罪事情があるにしても、この事件の場合には当てはめてはならないもの。
犯人がいくら思春期に母親の自殺を目撃しようが、だから甘えたいから抱きついた。にはならない。
大声を出したから口を塞ごうとしたら、手が滑って首を絞めてしまったとかもとんでもない。
水道屋に扮したのはままごとの一貫と、ここにユーモア要素は必要ではない。
屍姦が強姦に当たらないというのは侮辱でしかない。
赤ん坊を床に叩きつけたのは、赤ん坊を泣き止ませる為で、赤ん坊を泣き止ませようと、首にちょうちょ結びをした所、きつく締まり過ぎてしまい、赤ん坊は死んでしまったので傷害致死になるなら、全ての虐待が虐待でなくなる。
犯人の精神年齢が12歳程度というのは12歳を小ばかにしているのかなんなのか理解出来ない。