1993年1月13日
ウィキペディアより
山形県新庄市立明倫中学校の体育館用具室で、同校1年生・児玉有平くん(13歳)がマットの中に逆さに突っ込まれる形で死亡しているのが発見された。遺体は縦に置かれた体育用マットの中に巻かれて逆さの状態で入っていたという。
死因は窒息死であった。
有平くんの兄もいじめを受けていた経験があったという。
1992年夏ごろ、兄は有平くんにいじめが無いかと問うたというが、有平くんはいじめられてもギャグで切り抜けていると言い、心配をかけないようにしていたらしい。
1992年9月ごろ、顔を腫らして帰宅した有平くんを心配し、家族は学校にいじめがないか相談したが、学校側は有平くん本人に確認。
有平くんがいじめを認めなかったため、以後、放置したという。
上級生のAは同級生を介し「一発芸をして笑わせる奴」として有平くんと知り合い、同様にからかいはじめ、状況をエスカレートさせてきた。
有平くんは殴っても反抗もせず、騒ぐこともなく、黙って言いなりになるので、退屈をしのぐには持って来いだったと思われる。
10月には見かける度に一発芸をさせ、殴る蹴るを繰り返したという。
そしてリンチへと発展する。
11月には、8人ほどの仲間と共に、初めてマット用具室に押し込め、暴行を繰り返した。
そして1月。
Bは有平くんの事を小学校時代から知っていた。
体育館で有平くんを見かけたBは有平くんに「金太郎」の歌に合わせて身振り手振りをする芸をさせたのをCに話すとCも見たいと言い出し、マット用具室でさせようとした時に、Aを含む他の5人が加わり、最終的にマットに押し込む暴行死へと発展する。
この事件では、加害者とされる7人のうち、主犯格3人が否認。うち3人が有罪判決となるが、抗告する。
高裁では7人ともアリバイが成立せず、全員が事件に関与していたと判断されるが、事件の真相が明らかになったわけではない。
遺族が2002年3月、民事訴訟を起こすが山形地裁で退けられる。2004年5月、仙台高裁は一転して全員が関与したと判断し、有罪判決。2005年9月最高裁は上告を棄却し、高裁での不法行為認定が確定した。