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許せない事。風化させてはいけない事。二度と起きて欲しくない事。身勝手な人種はどこにでもいます。安心しないで下さい。

高崎小1女児殺害事件

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高崎小1女児殺害事件

2004年3月11日 群馬県高崎市で、小学校1年の浜名愛ちゃん(7歳)が、県営住宅の同じ階に住む男に殺害された事件。

ウィキペディアより 

NAVERまとめより 

下校が早くて1人になりやすく、黄色い帽子も目印になる。
男は愛ちゃんと同じ階層に住んでおり、その日は玄関の扉を全開にし、廊下で自転車を修理するふりをしながら、愛ちゃんが通りかかればすぐ自宅に引き込めるよう待ち構えていたという。
エレベーターから出てきたところをいきなり抱え上げ、自宅玄関に引き入れた。
わいせつ行為をするのが目的だったが、愛ちゃんが声を上げたため、誰かに気付かれると思い殺害を決意。
室内で馬乗りになって首を絞めて失神させた後、絞殺した。



「事件の歯止め」を願う愛ちゃんの母親、祐子さんの手記

04年3月11日 群馬県高崎でN被告に殺された当時小学校1年生、浜名愛の母でございます。
 
当時はテレビ、新聞、報道関係は一切見ることはありませんでした。それは不信感と心身の疲れから精神状態が普通でいられなくなったからだと思います。それがなぜ今になってコメントを発表したいと思ったかと申しますと、小学1年生の女の子が襲われる事件が多発し、なんとか、こんな悲惨な事件の歯止めになればと思ったからです。私どもの事件の後、いたずらで子どもの手を引っ張る事件が全国で多発しました。そのたびに仏壇の前で手を合わせ涙しました。
 
今でも事件当日を鮮明に覚えています。朝、娘が好きな服を選び「お母さん、昨日買った靴はどこ?」「名前を書いて玄関に出してあるわよ」「わーい」。新品のキャラクター入りのピンクの靴をはいて足を鳴らして喜んで「行ってきますー」と元気に登校しました。
 
そして、学校の授業を終え、下校してくる娘を八百屋さんの前で友だちと一緒に、まっすぐ前を向いて歩いている姿を見たのが最後でした。
 
それからほんの10分後、友だちの電話で娘がいなくなったことに気付き、エレベーター出入り口に走りました。すぐにとんでもなく不吉な予感に体が震えました。いつも娘の足音をきいて、ドアを開けていた私は、家の前に娘が来ていないことは間違いなく、またランドセルを持ったままどこかに行くような子ではなかったからでした。
 
その後は「命を奪わないで、お願い、お願い」と思いながら必死で捜しました。その30分ほどの間にN被告宅のドアが、ガチャッとしめた音がして、もしかしてと思いました。
 
娘がいなくなり、3時間以上たった午後6時ごろには、N被告宅に娘が居ると確信していました。そして命がもうないことも直感で分かっていました。それから1時間半たち、物々しく捜査員の方が入ってきて、「残念ながら……」の一言で悲鳴をあげ、「だからNさんの息子だって言ったでしょ」と言って何度も繰り返し、主人の腕を引っ張りました。これが事件当日のことです。
 
そして変わり果てた姿で戻ってきた娘を見て、声と息が止まってしまいました。N被告に口をふさがれた時のほおにつめ跡があり、両腕を押さえられたのか真っ青になっていました。何度も絞められた首は、かわいそうで見ることができませんでした。
 
司法解剖の後のため頭を上げないでくださいとの指示があり、いつものように「お帰り」と抱き上げてやることができませんでした。
 
本当に目の中に入れても痛くないと実感しながら育てた子でした。娘のほおに顔を押し当てると冷たいほおに涙が凍りつくようでした。私は娘を授かって本当に幸せでした。ですから殺されるなら私が代わってあげたかったとつくづく思いました。
 
娘を失い、1週間以上息をするのが苦しくて一睡もできず、薬に頼るようになりました。娘のぬくもりが残っている胸をたたきながら寝ました。ストレスから、めまい、吐き気、過呼吸になり、夜中に救急車で病院に運ばれたこともありました。そのころは体重が12キロも落ちてしまい、立つこともできず家の中をはっていました。
 
でもそんな私を救ってくれたのは息子の言葉でした。「楽しいことをたくさん考えるんだよ。お母さんも考えてごらん。薬飲んで、食べて、寝ていいよ」と目をこすりながら言ってくれました。
 
今まで人を恨むことを知らなかった私ですが、N被告の命を奪ってやりたいという思いを抑えるのが精いっぱいです。しかし、恨み続けることは、地獄の毎日です。娘を失った寂しさとつらさから、この命がなくなったらどんなに楽になるだろうと命を絶とうとさえ思いました。その思いを知る友人たちは「お願い生きていて、生きててくれたらそれでいい」と励ましてくれ、やっと生きています。
 
娘は7年の命を絶たれたのに、N被告は明日9日、無期懲役かそれを下回る刑を言い渡されます。刑務所を出れば彼は偽名でも使って何十年も自由に生きられます。これでいいのでしょうか。
 
心理鑑定では、彼のような幼児性愛の性犯罪者も十分矯正可能であるかのような話でしたが、欧米では治療や矯正に取り組んでも難しいと言われています。多発する事件を抑止するために国会でも取り組みをお願いし、終身刑を設けたり、幼少年者の虐殺犯の重罪化をしてほしいと思います。
 
最後に報道関係者のみなさまにお願いですが、最近起きた2件の小学1年生、被害者遺族のみなさまのため、しばらくの間、そっと見守っていただき1日も早く静かな生活が取り戻せるようご配慮下さるようお願い申し上げます。
浜名祐子
毎日新聞 2005年12月8日 21時21分 (最終更新時間 12月8日 21時25分)


被告の姓はあえて「N」と置換しています。
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