1999年9月29日 山口県下関市 西日本旅客鉄道(JR西日本)下関駅
ウィキペディアより
NAVERまとめより
犯人の男は、レンタカーで駅構内に突っ込みそのまま、暴走し7人を轢く。その後、包丁を手に改札へ侵入し、8人に切りつけるという事件を起こす。
5人が死亡する。
男は大学卒業後に設計事務所に就職。
その間に一級建築士の資格を取得し独立するが、5年後に廃業。
男には妻がおり、二級建築士の資格を取得し男をサポートしようとするが、たかだか一級建築士の資格を取得したとはいえ、取得後すぐに独立するのも充分な基盤作りよりもまず人を避けたように思え、それなりに努めていたとはいえ、すぐに食い潰したと考えられる。
廃業後に高収入が期待されるフランチャイズの運送業の開業で妻を残し単身実家へ戻るにも、様々ないざこざが存在したと思われる。
数か月後には妻は単身ニュージーランドへ渡り、1年後に帰国するも離婚を迫られ、その数か月後に台風で車が冠水し廃車に追い込まれる。
父親に援助を求めるも断られ、外界に対して憎悪を高め、犯行に及ぶ事となる。