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許せない事。風化させてはいけない事。二度と起きて欲しくない事。身勝手な人種はどこにでもいます。安心しないで下さい。

桶川ストーカー殺人事件

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桶川ストーカー殺人事件

1999年(平成11年)10月26日 埼玉県桶川市 東日本旅客鉄道(JR東日本)高崎線桶川駅前


ウィキペディアより


NAVERまとめより


後の「ストーカー規制法」が制定される元になった事件。
自宅に脅迫を仕掛ける犯人たち。ネット掲示や中傷ビラまで撒かれても動かない警察。
そんな最中に事件が発生し、調書の偽装も行われ、ずさんな捜査と隠ぺい工作が露呈した。



1999年1月、大宮駅東口のゲームセンターで被害者と男は知り合った。
男は当時、外車ディーラーと偽っていたが、実際は風俗経営者で語った名前も偽名だった。
優しい男に被害者は惹かれ付き合う事になったが、高価なプレゼントに動揺し断ろうとすると男はキレたという。
3月には男の家に誘われるも、仕掛けられたビデオカメラに気付き理由を聞こうとすると、壁を殴りながらキレたという。
今までのプレゼントの金を返せ、返せなければ身体を使ってでも返せ、家族の安全にも危惧を与えられ、恐怖にかられ交際は続いた。
男自体、当人の詳細などはソースが無いが、消防署員且つ実質の風俗店の経営者の兄は、かなりの自己中心的な人間だとされる。
消防署員でありながら、副業で人を使ってどうこうというのは狡猾である事は間違いなく、ただ、7店舗もの風俗店を共同経営出来る資産はどこから出てきたものか。
その上、そんなおいしい仕事をそこらの筋の人が黙っていられるものなのか。
あくまでも推測だが、その兄にぶら下がっていたストーカー男は、常に兄に助けてもらってきたのだろう。
後ろ盾と金で色々なものを得てきたのだろうが、人の感情というものを、どう向けるのかわからなかったのだろう。
金で向いてもらえないと、しつこさと脅すという強硬手段しか思いつかなかったのだろう。
頼りの兄が全て考えてくれるものだから、結果、無知になってしまったのだろう。
怖いくらいに甘やかされた環境で育ったのかも知れない。
怖いくらいに我慢が出来ない人種に育ってしまったのかも知れない。
それまでは、金と権威で何でも動いてきた。
だから予測不可能な事態に、どうしたらいいのかわからなかったのだろう。
権威は金と力で得られる。それを模した方法、例えばベンツ、金の貴金属、パンチパーマ、ビラ撒き、音響車。子供の真似事の様だ。
更に危害を加えれば、最高の脅しになる。
事件後に保険会社に電話を入れている事から、男にとって殺人は想定外で、事の大きさに死んで逃げる事しか思いつかなかったとも推測される。
想定内であれば、全てを壊して、自分も消えようと。

その上、警察は自己の保身しか考えなかった。

歯止めが効けば、エスカレートする事態を防ぐ可能性も上がる。
あの手この手の原理であれば、最後の手段を講じる前に、行き着く前に制止出来る事もある。
名誉棄損容疑で取り扱われていれば、正常な第三者意見を注入出来たかも知れなかった。
そういう可能性を、このケースでは全て打ち砕いてしまった。

ストーカー男は自殺。
その兄は無期懲役。
兄の経営する風俗店店長の男、実行犯、懲役18年。
見張り役の男、懲役15年。
運転役の男、懲役15年。
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