1993年10月27日 未解決事件
ウィキペディアより
宮古若花菜さんが自宅で胸などを刺され、殺害されていたのを仕事から戻った母親が発見する。
母親の帰宅時間は18時23分頃。
粘着テープで後ろ手に縛られ、仰向けの状態で口もまた粘着テープで塞がれていた。
18時頃に若花奈さんは帰宅したと見られ、15分頃に窓ガラスの割れた音がしたという。
現場には犯人が残したタバコの吸殻と缶コーヒーがあり、近くの駐車場では走り去る不審な黄色い車が目撃されていた。
17時40分頃には所属していた陸上部の部活を終え、友人と帰宅。
いつもなら一緒に食料品店で寄り道をするが、若花菜さんは18時頃には家に帰らねばならず、18時20分までは家に居なければならないと友人に話していたという。
何の用事であるかは聞いても話さなかったという。
帰宅した母親が見たのは、寝室で胸から血を出し仰向けで倒れる若花奈さんだった。
上半身は学校指定のジャージにパーカーを羽織っていたが、下半身は裸で座布団が掛けられていたという。
2008年9月28日記事
八戸市立第二中学校の2年生だった宮古若花菜さん(当時14歳)が1993年、自宅で何者かに刃物で刺殺された殺人事件は、27日で時効まで1か月に迫った。
現場の状況や乏しい物証を手がかりに地道な捜査が続けられてきたが、犯人像さえ絞りきれず15年が過ぎ去ろうとしている。
「私たちの気持ちは15年前と同じ」。
遺族の心の傷は今なお深く、捜査に携わった元県警幹部は「最後まであきらめず捜査をやり遂げてほしい」と残された1か月に望みを託した。
■6畳間に遺体
若花菜さんは1993年10月27日の午後6時25分ごろ、6畳間で倒れて死んでいるのを帰宅した母親に発見された。
両手は後ろで粘着テープで縛られ、口もテープでふさがれていた。
司法解剖の結果、鋭利な刃物で胸を刺されたことによる失血死で即死だった。
首や足首も刃物で傷つけられていた。
平屋建ての自宅は、玄関からの廊下沿いに6畳間や居間、台所が並んでいた。
玄関のガラス戸は割れ、廊下には体を引きずったような痕跡が残っていた。
室内に物色された形跡はなく、乱暴された跡もなかった。
■室内で待ち伏せか
若花菜さんが学校で部活を終えて帰宅したのが午後6時過ぎ。
八戸署の捜査本部は、母親が帰宅するまでの25分間の犯行とみた。
玄関のガラス戸は、外側に向かって破片が飛び散り、近所の住民が午後6時20分ごろにガラスの割れる音を聞いていた。
室内には、たばこの吸い殻2本、灰皿代わりに使われた空き缶が置かれていた。
「たばこを吸ったのは犯行後ではなく犯行前」。ガラスが割れて母親が帰宅するまでの約5分間にたばこを吸うとは考えづらいため、捜査本部は、犯人は部屋で待ち伏せしたとの見方を強めた。
若花菜さんが玄関から逃げようとしたのを、犯人が部屋に連れ戻して殺害したとの見立てでもあった。
■難航する捜査
たばこの吸い殻に付着した唾液(だえき)からは血液型が判明した。
しかし、当時はDNA型鑑定の導入前。決定的な物証にはならなかった。
また、凶器は残されておらず、指紋など犯人に結びつく手がかりは乏しかった。
犯行に使われた粘着テープのメーカーを特定し、購入者の割り出しにもあたったが、有力な情報にはつながらなかった。
捜査本部は当初、犯行の動機が絞れず、捜査対象を可能な限り広げた。
乱暴や物色された形跡がなかったためだが、県警幹部は「犯人像がどんどんぼやけていった」と振り返る。
若花菜さんの首や足が執拗(しつよう)に切り付けられているため、顔見知りのえん恨による犯行も疑った。
■「捜査最後まで」
「『うちの子を疑っているのか』と保護者にどなられ、話を聞くだけでも大変なほどだった」。
現場周辺や同級生などの学校関係者、ありとあらゆる対象に地道な聞き込み捜査を行った。
県警が事件に関係した疑いがあるとして事情を聞いた交友関係者はこれまでに600人。
調べた性犯罪の前歴者や素行不良者などは1800人にのぼった。
しかし、今も犯人につながる有力情報はないままだ。
遺族は読売新聞の取材に、「私たちの気持ちは15年前と同じです」と胸の内を明かしたが、「すべて警察に任せてあります。家族は家族で色々あるので事件については何も話せません」とだけ静かに語った。
「犯人の動機が今でもわからない。あの事件だけは心残りだ。目をつぶると、いまだに被害者が倒れていた現場の状況を思い出す。最後まであきらめず捜査をやり遂げてほしい」と元県警幹部は唇をかんだ。