1990年3月26日
NAVERまとめより
安浦町立の小学校で数年に渡り女子生徒に体を触る、キスをするなどのわいせつ行為を繰り返しており、ついに「教室で女の子にいたずらしている」との噂が広がる。
保護者から学校側や広島県教育委員会に問い合わせや訴えが相次いだため、学校や教育委員会は内定を始めその噂は事実と確認された。
男子生徒からはかなり恐れられていたようだが反面、被害者の教え子に対して、日常的に依怙贔屓が目立ち、時間が遅くなった時は車で送ったこともあったらしい。
教員は自宅謹慎処分になるが、その日中に、顛末書と辞表を提出した。
「殺したほうが生徒が世間の中傷を受けて悩まなくて済むと思った」
「自分の軽率な行為で、生徒の将来も闇になった。妻子にもひどい仕打ちをしてしまった。こうなれば、生徒を殺して自分も死ぬ以外に方法はないと思った」
卒業式を終え、春休みになっていた日、妹と留守番をしていた教え子を誘い出し、豊田郡安浦町安登西小島の海岸において、後部座席に座っていた教え子の首を手で絞め殺害。
その後、東広島駅まで向かい、妻に「教え子を殺してしまった。自分も新幹線に乗ってどこかで死ぬ。」と連絡し、妻も駆けつけ警察に通報。
1991/4/10 広島地裁で懲役13年の実刑判決。