2000年(平成12年)5月1日に愛知県豊川市
ウィキペディアより
NABERまとめより
学校では、明るく活発、成績優秀と評判のいい生徒で、後輩からの信頼も厚いソフトテニス部部員であったとされる。
しかし裏では「いじめ」に遭い、母親は離婚後離れたため男社会で家庭はそこそこ厳しいのだが、高校も第一志望には入れず、教員一家であるのに拘わらず、学校成績が思わしくないためか、大学受験への不安を口にしていたという、気の弱い人種であると察せられる。
恐らく、通り魔的な感覚の、対抗出来るのであれば誰でもよかった狂気にも思われる。
一方、着替えとわずかな逃走資金を準備している事から、その日の決行を準備していたと思われる。
「未来のある人は避けたかったので老女を狙った」
のは、弱い相手を探していた彼の言い訳だと想像するのは、40か所以上刺した無我夢中さからも、主婦の夫が戻り、逃げた事からも判断される。
母親がおらず、いじめにも遭い、学校成績もそんなでもない上に、泣き言は言わないプライドからか、八つ当たり的に行われた行為を
「人を殺す経験を しようと思ってやりました」
としたものではなかろうか。
2000年12月26日医療少年院送付の保護処分が決定。